歌物を作ろうと思って作編曲をしている人の多くが、作詞は興味ないし、難しいので最初から他人に任せてしまおうと考えることが多かったりします。
実際、昔の私はそうでした。
作編曲がしたいのであって、作詞にかける情熱がなかったからです。
しかし、だんだん作詞は無理してでも自分でやったほうがいいと思うようになりました。
その理由を書いていきます。
自分のイメージを伝えても、イメージ通りになることはない
曲をイメージして作っていくと、詩のイメージも漠然と出来上がっていることになります。
その作詞をボーカリストの友だちなどに依頼したとします。
こちらのイメージを詳細に話していたとしても、全く想像もしなかったシロモノが出来上がってきます。
なぜなのか。
詩の世界観は抽象的すぎるのです。自分のイメージを具体的に伝えるのは不可能に近いです。
また、育ってきた環境も、経験したことも全く違う他人です。一つのポイントとなる言葉からでも想像するものが全く違います。
ほとんどの場合はガッカリしますが、依頼してしまった以上、使わないとしょうがない状態になります。
それでもいいという覚悟があるなら、それでもいいですが。
イメージを伝えずに任せるのは更に良くない
次にイメージを伝えずに、頼んだ人がイメージしたことで自由に作詞をしてもらった場合ですが、さらに良くないことが起こります。
人それぞれ想像するものは全く違います。
凄く憂いを帯びた曲調にして、そういうイメージなのに、おちゃらけた歌詞になって返ってくるかもしれません。
そうなれば、曲自体が崩壊してしまいます。
しかし、これは作詞した人が悪いのではありません。
頼んだ人にとっては、それが良いと思った結果なのです。
詩を先に作ってもらうのも良くない
上記したものは、基本的には曲先行の場合ですが、詩を先に作ってもらって、それに曲を付けるというパターンもあります。
しかし、詩に曲を付けるのは、曲先行よりも難易度が高いと私は思っています。
ある程度、作詞の経験があり、節回しを考えてそれに合わせるなど想像力も使うことになるので、最初から挑戦するのは非常に難易度が高く、そういったことを全く考えずに作ると曲を付けることが不可能になることもあります。
なぜプロの作詞家が存在するかを考える
プロの世界では、作詞だけする作詞家が存在します。J-POPなどを見ていると意外と同じ作詞家がたくさん作詞していたりします。
それだけ依頼者が満足するものを仕上げることは難しいのではないかと思います。
特に抽象的な世界観を具体化して、それが依頼者のイメージと違っていても納得させられるというのは、ものすごい技術だと思います。
まとめ
自分の作品を作っていて、作品の大きな要素をしめる詩の世界は自分で構築していく努力をすべきですし、自分のイメージは自分自身しか表現しようがないということです。
安易に他人に任せるよりも自分でやってみることで表現は上手くいくことが多いと思います。
仮にどうしても他人に依頼しなければならないときにも、自分が経験しているのとしていないのでは、依頼の仕方から変わってくると思います。